京都歳時記

 

日本の歴史・文化の中心であり続ける、京都。
散策する街並に、かわす会話やなにげない生活の一端に 息づく伝統を感じ、新しい発見がある町。
さいわい病院もこの町に育まれ、共に歩んでまいりました。
私たちの町、京都の四季折々に催される行事の一端をご紹介します。



春【五月十七日・葵 祭】

歴史の都、京都の華やかさを今に伝えるお祭りです。 葵祭は、上賀茂神社及び下鴨神社の例祭であり、その起源は飛鳥時代・欽明天皇の代(540〜571)に続いた凶作を加茂神の祟(たたり)と鎮め、五穀豊穰を祈ったことに始まります。


水干(すいかん)姿の童が縄を持ち、藤で飾った牛車(御所車)

祭りは五月三日の下鴨神社で行う「流鏑馬(やぶさめ)神事」に始まり、五月十日には一般市民から選ばれた斎王代・女人列に奉仕する女性が身を清める「禊(みそぎ)の儀」、十五日の、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族の姿で列をつくり、京都御所から下鴨神社を通り、上賀茂神社へと向かう「路頭の儀」でクライマックスを迎えます。

京都で単に「祭り」といえば葵祭を指すほど重要な祭りであり、平安時代には盛大に行われていました。見物人で賑わったその様子は『源氏物語・葵の巻』には、斎王列見物にでかけた葵の上と六条御息所の有名な『車争い』のエピソードもあり、他に『今昔物語』などにもうかがえます。 約450名以上からなる参向行列の装束は平安時代そのままの姿で、王朝貴族の雅な 文化と風俗がしのばれます。

   
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夏【七月十七日・祇園祭】
山鉾32基のうち29基は重要無形民俗文化財に指定されており、「動く文化財のお祭り」として全国的に有名な祇園祭は、七月一日の吉符入りに始まり、1ヶ月に渡る諸行事の総称です。一般的には七月十七日の山鉾巡行とその前日の宵山が有名です。

祇園祭は八坂神社の祭礼であり、本来は「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれていました。平安時代・貞観11年(869年)に疫病が流行した際、疫神を依り憑かせ、後で燃やしたり壊したりして退治するために長い木の棒(矛)を日本全国の国の数だけ(66本)立てたのが始まりと言われています。

室町期までに矛は山鉾(やまぼこ)や神輿(みこし)に発展し、盛大になりましたが、室町時代・応仁の乱(1476年)で一事中断しました。

室町時代・明応9年(1500)に山鉾38基として復活した際、巡行の順序をめぐって町人の間で争いが起こったため、籤(くじ)で順序を決めました。これが「籤取り式」の起源です。

安土桃山時代から江戸時代かけて、祇園祭の主役は経済的に豊かになった町衆となり、その財力を競うように装飾が壮麗になりました。ベルギー製毛綴・ペルシャやトルコ・中国などの緞通(だんつう)、精巧な飾金具などを施された絢爛さは『洛中洛外図屏風』などに見ることができ、現在の山鉾の形はこの頃完成したと言えます。

七月十日から鉾建てが始まり、鉾町では祇園囃子が流れ、京都はお祭り一色になります。山鉾巡行前日の宵山では、古い町家が秘蔵の屏風や書画を軒先に公開し、人々は鉾町を巡ってその壮麗さを堪能します。


祭りのクライマックスである十七日の山鉾巡行は、稚児の注連縄(しめなわ)切りを合図に「籤(くじ)とらず」の長刀鉾を先頭に、四条烏丸から御池方面へ順々に巡行します。
交差点で山鉾の進行方向をかえる「辻回し」では、路面に青竹を敷き、水をかけて、鉾を滑らせます。各々の山鉾独自の所作とかけ声とともに大きな鉾が動く圧巻の迫力に、多くの見物客から大きな歓声があがります。

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夏【八月十六日・大文字五山送り火】

八月十六日に行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事である大文字五山送り火は、起源ははっきりしませんが、仏教が庶民一般に浸透する室町時代以降に、松明の火を空に投げて霊を見送る風習が転じたものと伝えられています。


午後8時に「右大文字」と呼ばれる大文字山から「妙」「法」「舟形」「左大文字」「鳥居」の順に、各々をかたどった火がともされ、彼岸へ精霊をお送りします。
京都の町では街中にはいたる所で「五山送り火」を眺め、手を合わせる姿が見られます。


水や酒の入った丸い盆に送り火を映して飲むと、中風除けになるといわれたり、護摩木の燃え残りを白地に包んで水引で縛り、戸口に吊ると疫病よけ・盗難よけになると伝えられています。
祇園祭で始まる京都の夏は、この五山の送り火で締めくくられ、暑気も少しづつ和らぎはじめます。

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秋【十月二十二日・時代祭】

平安神宮の祭礼として執り行われる時代祭は、葵祭・祇園祭とともに京都三大祭りとして知られています。
しかしその歴史は意外と浅く、明治28年(1895)に平安奠都(てんと)1100年を記念して平安神宮が創建された際、奉祝記念行事の一環として始まりました。


明治維新から始まり、時代を逆戻りして平安遷都までの歴史絵巻きを再現する行列は、約2000名、全長約2キロにわたる壮大なもので、歴史の教科書や小説にも出てくるさまざまな人物が次から次へと登場します。行楽日和に行われるこの行事には、全国から多くの見物客が訪れます。

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冬【十二月三十一日・おけら詣り】


おけら詣りは、京都ならではの風習のひとつです。
「おけら」は、山や野に生えるキク科の多年草で、その根は古くから漢方の健胃薬として知られています。火の中にくべると強い匂いを発し、湿気を除くといわれており、昔から魔除け、疫病除けの霊草とされていました。


八坂神社では、神前で古式にのっとってつけられた浄火でおけらを燃やします。
人々は大晦日から元旦の朝にかけて参詣し、このおけら火を吉兆縄(きっちょうのう)に移しとって家へ持ち帰ります。火が消えないようにくるくると回しながら持ち帰り、その火を火種にしたかまどで元旦の大福茶や雑煮を作ると、一年の無病息災がかなうといわれています。
除夜の鐘をききながら、八坂神社におけら詣りをするのは京都の伝統的な年越しの風習で、八坂神社の参道である四条通りは、大晦日の午後11時から翌午前5時までは歩行者天国となり、大勢の参拝者で埋め尽くされます。


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